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東京ベシャメルラジヲがPodcastnaviというポッドキャストポータルで紹介されています。
http://www.podcastnavi.com 「Podcastを楽しむ」というコーナーから見れます。 ちなみに、写真のちゃぶ台は我が家のちゃぶ台で、 ここでベシャ飯、収録はここで行われております。 ほかにも面白いチャンネルがありますので、聞いてみてください。 それと! 24日金曜日、渋谷のSoftというとこで、1時くらいからDJしてます。 メンバーは スペースウォーカー タツヲくん ネルくん ペコちゃん 奔放っぽいですが、奔放@Softです。 チャージフリーですので、お時間ある方は是非お立ち寄り下さいませ。 Soft www.soft-tokyo.com/ そうかー、ローカルが熱かったのかー!と息巻いてしまいます。 #
by tokyo_bechamel
| 2006-03-24 00:52
「お世話様です~」なんて無作為についつい言ってしまうわけだけど、
そんな言葉にどれだけの真意があるのだろうか?とふと思いたったのは、 ここ一ヶ月くらいの間に似たようなテーマの本二冊にたまたま出会ったからなのでした。 ウンコな議論 ハリー・G・フランクファート (著) 山形 浩生 (翻訳) 先月の勝手にコマーシャル「高円寺文庫センター」の写真を撮りに行った際に購入。 嘘には至らない思わせぶりな言い回しを筆者は「bullshit」と切り捨て、訳者は「おためごかし」と名訳を添えます。 嘘というのは、「事実を捻じ曲げよう」という思いと、「それを事実だと思い込もう」と自分の心中を捻じ曲げるという意味で二つの歪曲が生じるけど、思わせぶりな言い回しには、そのどちらもない。例えば、 アメリカの独立記念日の式典で演説者が、大仰にこう述べるところを想起されたい。「我らが偉大にして祝福され足る祖国、その建国の父たちは神のお導きをもって、人類にとっての新たな出発点を築き上げたのです。」 話者にとって「祖国が祝福されたか?建国の父が神に導かれたか?人類にとっての新たな出発点を築き上げたか?」といったことは意に介すことではなく、重要なのはその発言の真偽ではなく、そう発言することによって聴衆が自分のことをどのように思うかということではないでしょうか。 言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。 ちょうど夕食時に口に入れた炒飯を噴出してしまったのは、別に自分で作って不味かっただけではありません。倒置法と片仮名まで使って言葉のチカラを信じていると思われたいのか。思われたいんだろうな。 言葉が有力か無力か?などといったことはどうでもいいから、言葉を無力にしてしまっているのは誰か?ということを考えてくれ。マジで。 ライ麦畑でつかまえて J.D.サリンジャー (著) 野崎 孝 (著) ここでもやっぱり「おためごかし」が登場。 ペンシーを去るホールデンに先生は「幸運を祈るよ!」と言葉をかけるが、そんな酷い言葉は絶対に使わないと彼は思う。 先生が幸運を祈っているかどうか?なんてことは問題ではない。何の前提も持たずに無為に発せられた言葉の無意味とそこに垣間見える思わせぶりな態度が実は無為ではないことにホールデンは苛立ちます。 もしも「お世話様です~」と述べることによって意味があるとすれば、 お世話様ですと発する言葉のチカラ(うひぃー恥じかちぃ!)によって、 自分がこの人にお世話になってるんだよということを再認識することじゃないかな。 一般的な言い回しが意味を持つのは「その言葉がどれだけ一般化しているか」ということではなく、その言葉が本当に無為に発しているか(発することができるか=骨肉化しているか)だと思う。 言葉は道具ではなく、むしろ言葉が心を組み立てるんではないしょうか。 などと考えながらうっかり乗ってしまった中央特快は、阿佐ヶ谷を通り過ぎ三鷹まで~。 ゲボッ! #
by tokyo_bechamel
| 2006-03-07 01:54
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